ベイ・シティー・ローラーズ BCR 私の想い出

ほろ苦い青春がいっぱいあったよね 💛💝(⋈◍>◡<◍)。✧♡

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ポーリンさんの想い出
Date:⌚2000年頃の投稿

私が初めてローラーズを知ったのは、郷ひろみが「バイバイベイビー」を歌っていて、
その元歌がローラーズと言うことで、ちょうど、高校3年生頃だったと思いますが、
初めて、セブンティーンか、明星か平凡で写真を見ました。
そのときは、何で、こんなのがいいの?なんて思ったのですが・・・・。
(そのとき、私は野口五郎のファンでした。)洋楽など、ほとんど知らず、
ビートルズにようやく目覚めていたころだったのです。

でも、その後、どうしてか知らないけど、ローラーズに惹かれていき、
高校3年の終わりにはすっかりローラーマニアでした。
ちょうど、来日もあり、コンサートに行きました。WOODYの大ファンでした。
でも、今思うと、やっぱり、レスリーの歌声が好きでした。
イアンも好きで、ロゼッタストーンのコンサートにも行きました。
2000年は来日もある?とのことでとっても楽しみにしています。

これからもよろしく。

by admin. BCR 私の想い出 <431文字> 編集

Tomokoさんの想い出
Date:⌚2000年頃の投稿

中1の冬、クラスの男子が教室にてんとう虫のレコードプレーヤーを持ってきて、
「これ、すごくいいから聞いてみぃ」とレコードをかけた。
S,A,TUR...とシャウトするその曲に、洋楽など全く知らなかった私は
往復ビンタをくらった様なショックを受けた。

そしてタイムリーにローラーズが初来日。関口宏の”スター千一夜”(ひぇー懐かしい)
で初めて動く彼らを見て、どうして好きにならずにいられようか。
その時私は青い瞳のERICに一目惚れしまったのだ。あの頃は、
ただERICのお嫁さんになる事を夢見てレコードを聴き、
英語をがんばり、海外へと目を向けた。

彼らに出会えたからこそ、今の私がある。
今でもローラーズの曲を耳にすると、青春の真っ只中にいる自分に戻り、
胸がキュンとなってしまう。ERIC,あれから月日はたち、私も嫁に行ってしまいました。
あなたは結婚したのでしょうか。
誰か教えてください。

by admin. BCR 私の想い出 <430文字> 編集

Angieさんの想い出
Date:⌚2000年頃の投稿

私がBCRを聴きだしたのは小学5年生。
当時ローラーズはPatを連れて初来日したばかりで、
そのときに妹がWoodyのファンになりレコードを買い、つ
いつい一緒に聴いてハマってしまいました。

それは5歳から英会話を習いつづけていた私にとって、Zep.や
エアロスミスよりも耳に馴染みやすい発音とメロディーラインだったのです。
おかげで、それまで音楽はハードロックが主流だった私の、
彼らは「一服の清涼剤」(!?)となりました。30歳を過ぎた今でも、
私にとってはローラーズは「一服の清涼剤」のままです。

by admin. BCR 私の想い出 <281文字> 編集

kumikoさんの想い出
Date:⌚2000年頃の投稿

私の人生、ローラーズ無しには語れない。
彼らとの出会いがこんなに深く、重いものになるとは・・・
当時中学2年生だった私にとって、チケット代、レコード代、
次々出版される本代に小額のお小遣いはあっという間に消え、
お昼のパン代をけっちってなんとかやりくりしていたっけ。

他に欲しいものなんてなかった。
ローラーズを傍に感じる事ができるものさえあればそれで良かった。
先日古いビデオを整理していたら、(映画のタイトル記載)なんと、
ローラーズが映し出されもう、涙。WOODY!あ~。
なぜだろう、いつもローラーズを見ると、頬のあたりに電流が走り涙があふれてしまう。
昨年末の彼らがTV出演していたそうなんだけど、見逃してしまいました。
ううっ。

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めぐなさんの想い出
Date:⌚2000年頃の投稿

中学生のころ「BAY CITY ROLLERS」が大好きで、寝ても覚めてもローラーズだった。
6畳の私の部屋は、1cmの隙間も無いほど、壁・天井にはポスター・きり抜きの数々が貼ってあった。.
そんな時、来日すると言うのが、現実のものになった。
行かないわけにはいかない。

どんなに遠くても行くぅ==!!そう心に決め、毎日バイトをし、
死ぬ思いでようやくチケットを取りました。
20年以上も前なのにチケット代は4000円もしたよ。
そのころは2000円とか1500円って言うのが通常料金だったよね。
中学の私には、そりゃあ高かったな~。

コンサートまでの日々は夢のように過ぎた。
札幌までの道のりは、10時間も要した。
北海道は広く、我が家からコンサート会場までは、東京から福岡まで行けちゃう距離だよ。
それでも、見れるというだけで私達3人は有頂天でした。

北海道の9月は寒く、半袖だけではブルブル震えるほどだったけど、
ローラーズのTシャツ、かんばって作ったタータンのズボン・マフラーに身を包み、
私達は幸せだったなぁ。先日、仕事中に流れる有線放送から
「Rock‘n Rolllove letter」が流れてた。
昔のことを思い出しました。

by admin. BCR 私の想い出 <552文字> 編集

tomyさんの想い出
Date:⌚2000年頃の投稿

私にとってローラーズはやっぱり青春時代の思い出です。
何気なく聞いていたラジオから流れてきたのが忘れもしないロックンロールラブレター
私は小学生でしたがあの時のことは今でも忘れてはいません。
その後こんなに人気のあるグループとは思わずドンドン好きになってしまい、
もう毎日がローラーズでした。

北海道に住んでいる私は微妙に電波をあわせ輝けベイシティローラーズを
一生懸命聞きまだ聞いたことのない曲がかかると必死で録音していました。
そうそうキットカットのコマーシャルも当時ビデオなんかなかったから
テレビで録音した事もあったなぁ。

今まで発売されたcdはほとんど持っているしビデオも持っているけれど
どうしてもほしいのが青春の記念碑あれってやっぱりもう手に入らないのかなァ。
手元にないってだけでもう無性に聞きたくなるから不思議。
私は時々このページをただ見ているだけだけど今度仲間に入りたいと思っています。
どなたか私にもメール送ってくれるとうれしいな

by admin. BCR 私の想い出 <458文字> 編集

kenさんの想い出
Date:⌚2000年頃の投稿

俺とBCRとの出会いは中学生の頃にNHKで放映されてたTVショーでした。
それまでカーペンターズやビートルズくらいしか洋楽は知らなかったのですが、
このTVで観たBCRの格好良さに惹かれてすぐにファンになりました。
(それまではヒデキのファンだったのです)

アイドル路線ばく進中だった当時のBCRに野郎の反応は冷たく、
俺も決して表には出さない「かくれファン」だったのです。
でも彼らのポスターを貼ってある部屋に友人が訪れて結局ばれてしまい、
それがきっかけで、ファンの女の子とBCRの話しもするようになったり、
レコードを音楽室で聴いたり、学校でツメ襟の下にタータンギアを堂々と着込んで
ほうきもってエリックの真似したり(坊主アタマで全然サマになりませんでしたが・・)
いつしかクラス中に知れ渡る存在になっていきました。今では中学時代のいい思い出です。

20年間、確執とか色々な問題があったようですが、メンバー間のひとつひとつの問題をクリアし、
再び5人が揃ってアイドルから大人のアーティストとして再始動するこれからのBCRを
俺は応援して行きたいと思います。
再びタータンハリケーンが吹き荒れることを信じて・・・ ken

by admin. BCR 私の想い出 <542文字> 編集

Mieさんの想い出
Date:⌚2000年頃の投稿

BCRと出会ってから23年が過ぎました。
出会いからどんどんのめり込んで、なにからなにまでレス、レスレス・・・・・。
来日公演も名古屋ではいけず、大阪へそしてレス脱退から少しずつ気持ちが遠のいてしまいまして。
CDを見つけ聞き始めるとやはり、のめり込み23年いっきワープ!

情報も少ない今必死で見つけたコノページ、もう一度ときめきをかんじることができました。
これからの人生BCRと過ごせることに感謝します。
おばさんをバカにしている若い人たちよ、
君たちはこんな興奮を20ねんごによびもどせるかなー?
それほどBCRはすごかった事改めておもいました。

by admin. BCR 私の想い出 <304文字> 編集

りささんの想い出
Date:⌚2000年頃の投稿

私のローラーズとの出会いは中1のときでした。
雑誌にのっていた彼らの笑顔にガーン!これは、今までに味わったことのないトキメキでした。
特にエリックのブルーの瞳に釘付け!もうそれからの私の行動は寝てもさめても
ローラーズ・・・エリック・・・・

まあ、その後は皆様方とほぼ同じコースをたどったと思います。
その当時は中学生のためコンサートにはいけず、初めて生BCRをみたのは、
学生時代武道館であった再結成コンサートでした。
飛行機にのって、ホテルにとまって、すごくお金はかかったけど、
あの日の感激は忘れられません。

同じく今はNYにいるローラーズファンの友人とは必ず「エジンバラ詣で」をしようと、
約束しています。その日を夢見て、育児に仕事に家事にがんばりますので、
よろしくお願いします。

by admin. BCR 私の想い出 <374文字> 編集

YUMIさんの想い出
Date:⌚1999年頃の投稿

忘れもしない1977年4月13日……10代の頃、私はその日を第2の誕生日と呼んでいました。
なぜならその日がローラーズに夢中になった、最初の日だったからです。
それまでも彼等のことは知っていましたが、時々昼休みの校内放送(当時中学2年生でした)
でかかる中に1、2曲いいなと思うのがあるだけで、その頃はまだ洋楽ではカーペンターズに傾倒していました。

でも、何となく気になって買った、初めてのアルバム「ニュー・ベスト」。
レコードに針を落とした次の瞬間、流れてきた「ロックンロール・ラブレター」に魂を奪われてしまいました。
その日以来、洋楽に目覚め、忘れかけていた「音楽を演奏すること」の楽しさを思い出し
(小学校時代はピアノを習ったり学校の鼓笛隊に入ったりして音楽漬けの生活だったのです)、
高校ではフォークソング部に在籍しながらロックバンドを結成。

ローラーズファンがいなくて肩身が狭かったけど、いろんな音楽に触れ、充実した3年間でした。
また、英語を話せるようになって、いつかエジンバラに行くんだ、と必死で英語の勉強を始め、
高校卒業後は英語ビジネス系の専門学校に進み、貿易会社に就職。
結局エジンバラに行くという夢だけはまだ実現していませんが、
その会で同僚だったのが今の夫だし、やっぱり私の一生を左右したバンドだと言っても過言ではありません。
Bay City Rollers, I love you forever!

by admin. BCR 私の想い出 <644文字> 編集

koshukaさんの想い出
Date:⌚1999年頃の投稿

私が初めて自分のお小遣いで買った洋楽アルバムが、BAY CITY ROLLERSでした。
当時小5の私にとって異文化の窓口は、まさにROLLERSの歌によってのものでした。
レスリーの歌声に聴き惚れながら、まだしたこともない恋愛の歌にドキドキしたり・・。

あぁ、思い出は語っても語り尽くせない・・!ただ、分かっていることは、
今でもROLLERSを聴く度にあの頃の私にフィード・バックしてしまうこと。
そして、やっぱり今でもドキドキしちゃう事・・・!
BAY CITY ROLLERSって、良いよね!

by admin. BCR 私の想い出 <283文字> 編集

かつみくんさんの想い出
Date:⌚1999年頃の投稿

俺にとって、ローラーズ生まれて初めて熱くしてくれた、存在です。
とにかく、毎日が、ローラーズに始まり、
またローラーズに終わるといっても過言でないくらい好きでした。
当時、男の俺は、ローラーズのフアンであることで、
一部の心無いやつによくののしられたこともあった。
それが余計俺のハート熱くした。

何でこいつら、ローラーズの音楽のすばらしさ、楽しさ、
素直に認めないのか不思議でたまらなかった。
ただ、武道館でのコンサートで、男子トイレで着替えている、女子学生が多いのは参った。
大オ済ましてでたくても、恥ずかしくて出ることができずオープニング間に合わなかったこともあった。
それも懐かしい想いでです。

年末の番組にオリジナルメンバーで、出演!うれしかった!去年は、
あまりよい年ではなかったけど、終わりよければすべてよし。
ニューアルバムも楽しみだ。

by admin. BCR 私の想い出 <408文字> 編集

Shige'chiさんの想い出
Date:⌚1999年頃の投稿

B.C.Rいろいろなことを学ばせてもらいました。
レスリーの脱退で知った音楽業界のイヤな面と難しさも知りました。
今の日本で言えばT.K以上といっても過言でないくらい。
(ひょっとしたら東京のど真ん中であの騒ぎに遭遇していたかも?) 

Beetls以来の世界規模の社会現象。
テイク ザットも日本でイマイチだったし。いろいろなタイプの曲をきかせてくれました。
本当に感謝しています。Rock Showでは紙面討論会のも後期にはありましたね。
べたぼめするだけがファンではないこととか、、、etc.
今のひとたちは解らない心境だと思いますけど。

まだ日本では無名に近かったB.C.Rを早い10代のひとたちがバカにされつつも?
一生懸命応援したこと、、、。今、海外では、CDセールスがのびないとか。
作られたものの時代の反動がきているみたいです。
プロモーションばかりきにしている時代だけど、結局はトキメカセルような曲、
技術ではない”これはいいぞ!”
と思わせる曲、に感化するのだと思います。
イギリス6週連続一位のBay Bay Babyやアメリカビルボード一位のSaturday Nightの数々、、、、、。
いっぱつで聞いて耳を傾ける曲それがB.C.Rでした。
それでは。。。Bay City Rolles Forever !!

by admin. BCR 私の想い出 <603文字> 編集

Keiko Ashcraftさんの想い出
Date:⌚1999年頃の投稿

さかのぼるは、初来日いきなり羽田空港にお迎えに出かけたときから、いきなりはまりました。
その時はTokyo Hilton Hotelまで、追いかけて行き、
追っかけ仲間では有名な東京警備の伊丹さんに怒られながら初めて12時すぎまで外出し
(当時中2だった)しこたま親に怒られました。

(メンバーは窓から手をふってくれたけど、今思うと本当にメンバーだったのか疑問)
それから18歳くらいまで、Roolers family一筋でした。
毎年夏休みは西へ東へ追っかけてました。生レスにも何度も会えました。

一時はRollersも聴かなくなってしまいましたが、(もちろん同窓会コンサートは行きました)
でもやっぱり今はRollersの歌が一番落ち着くし、大好きです。
今はなぜかアメリカ人と結婚してHawaiiに住んでいますが、
また、コンサートに行きたいです。
ああ、Rollersの思い出は語りつくせません。

今度、レコードプレーヤーを買って、またLP(なつかしい響き)を聴きたい!
何度も引っ越しましたが、Rock Showとコンサートパンフレットだけはすてられないんですよね。
なんか長くなってごめんなさい。
やっぱり、語りつくせない。

by admin. BCR 私の想い出 <564文字> 編集

NOBUOさんの想い出
Date:⌚1999年頃の投稿

なにを 隠そう!!小6からの熱狂的大ファンだよ~ん!!
コンサートへ 行くたびに 号泣しながら 見るのでいつも
曇ったレスリーが 目に 焼き付いていてビデオを 見る時も そんなんで 困ったもんです。

レスは 俺にとってなんと 表現したら いいのか言葉に するには 難しすぎるよ!!
とにかく はやくLIVEが 見たい今日このごろです。
"We want Rollers!!" "We love Rollers!!"Keep On Rollin'xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

by admin. BCR 私の想い出 <288文字> 編集

うえだ さちこさんの想い出
Date:⌚1999年頃の投稿

私にとってBCRはやはり、洋楽との出会いでしょうか。
歌詞の上にカタカナで読み方を書き込んで覚えたりして、ちっとも苦労ではなかった。
なのに何故学校の英語はつまらなかったのだろう?Woodyが好きで、
父親に「何だこのちりめんじゃこは」といわれながらポスターを眺めたものでした。

だけど、イアンの脱退理由に、「アイルランド出身だから」という話を聞いて、少しがっかりもしました。
今、アイルランド大変だけどどうしてるかな?それにしても、BCRの曲って、いつ聴いても新鮮ですよね。

by admin. BCR 私の想い出 <271文字> 編集

Yoko-nさんの想い出
Date:⌚1998年頃の投稿

私にとってBCRは、全ての原点です。洋楽好き、海外旅行好き、
英語を活かせた仕事にありついていること、全て、元をたどれば、BCRがきっかけです。
もし、BCRに出会っていなければ、今の私の人生、もっとつまらないものに、なっていたと思います。
今、こうやってインターネットで、沢山の方とお会い出来て、
楽しみながら、これを書いているのもBCRのおかげです。

by admin. BCR 私の想い出 <207文字> 編集

fumikoさんの想い出
Date:⌚1998年頃の投稿

私にとって、BCRとは・・・
もう私の青春、であり趣味、であり、
おおげさにいうと、ROLLERSのおかげで人生が変わったと言ってもいい・・・
(良い意味で)これからもずっと彼らを応援していきたいで~す!

by admin. BCR 私の想い出 <133文字> 編集

Sakuraさんの想い出
Date:⌚1998年頃の投稿

私もBay City Rollersによって、洋楽への扉を開いてもらった一人です。
私がまだローティーンの頃、まさしく、世の中は、超最大級’タータン・ハリケーン’の渦の中。
当時のBCR人気。これはもう言葉では表現できませんよね。
初めて彼等のサウンドを耳にしたときの衝撃。レコードに針をおろす瞬間の胸の高まり。
メンバーの繊細なニュースに一喜一憂した毎日。
この「思い」だけは、同じ時間を共有した者の『宝物』です。
十代の多感な時期、Rollersという素晴らしいミュージシャンに巡り合うことができた『偶然』に、
心から感謝します。

by admin. BCR 私の想い出 <298文字> 編集

Akihitoさんの想い出
Date:⌚1998年頃の投稿

僕にとってベイ・シティー・ローラーズの存在は無くてはならないものです。
ローラーズというよりレスリー・マッコーエンですが...。
彼の存在があってローラーズの音楽が、僕の生活に常に流れているという状態が自然の状態なのです。

1982年の同窓会公演をテレビで観たのがきっかけで、ローラー・マニアになりましたが、
彼等の存在を知り、素晴らしいヴォーカリスト、素晴らしい曲そしてなによりもベイ・シティー・ローラーズを通じて知り合えた友達は、
僕の何よりも代え難い宝物です。
こんな素晴らしいものをくれたベイ・シティー・ローラーズそして、レスリー・マッコーエンに感謝しています。
もう一度、世界にタータン・ハリケーンを復活させるときまで、僕は永遠にレスリーファンそしてローラー・マニアで有りつづけるでしょう。

by admin. BCR 私の想い出 <383文字> 編集

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