ほろ苦い青春がいっぱいあったよね 💛💝(⋈◍>◡<◍)。✧♡
+ +
No.42
by admin. ⌚2023年10月3日(火) 05:51:08〔1年以上前〕 BCR 私の想い出 <725文字> 編集
« No.41 / No.43 »
初期表示に戻る
DASHBOARD
■全文検索:
複合検索窓に切り替える
■複合検索:
■新着画像リスト:
全0個 (総容量 0Bytes)
■日付一覧:
■日付検索:
■カレンダー:
■ハッシュタグ:
■カテゴリ:
■最近の投稿:
■ウェブサイト
編集
▼現在の表示条件での投稿総数:
1件
▼最後に投稿または編集した日時:
2023年10月4日(水) 02:53:08〔1年以上前〕
▼特殊な表示モード:
RSSフィード
Date:⌚2001年頃の投稿
自分がBCRと出会ったのは77年の中学2年のときでした。
当時男でBCRが好きだと公言することはとても勇気のいる行為でした。
自分も当時は公言してはいませんでした。それでもカセットとかはかなりきいていました。
でも公言している人をからかっている当人がけっこうたくさんレコードとか持っていたりして、
なんとも不思議な存在でした。
中学3年のときに高校入試の試験勉強がきびしくなって、もっていたカセットなどを
一時床下にしまって勉強に没頭することにしました。
合格したらもういちどやるぞ。そう思っていました。
でもいざ高校入試がおわってみたら、BCRはすっかり消えてしまっていました。
その後洋楽好きの友達ができることもなく、自分のこの方面の趣味は
14才のままフリーズしたままになってしまいました。
あんなことはするんじゃなかった。大切な友達を床下に閉じ込めたそんな気がします。
1993年12月21日の70Sローラーズ(レスリーとイアンのバンド)の
クラブチッタ川崎公演は見にいきました(チケットの半券はいまでも手元にあります)。
ゲストにローリー寺西がでていました。クラブチッタは全席立ち見なので、遠慮なく前の方に行きました。
目の前で見るレスリーとイアンは意外と小柄に見えました。
コンサートは本当にすばらしかった。男性は少なかったけどちらほらいて、
彼らとともにデタラメ英語で演奏されている曲をくちづさんだりしました。
最近ドラマで挿入歌として使われているようですね。
プロデューサーは同世代でしょうか。またブームになればいいと思います。
そしてまたコンサートに行けたらと思います。