ほろ苦い青春がいっぱいあったよね 💛💝(⋈◍>◡<◍)。✧♡
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No.63
by admin. ⌚2023年10月3日(火) 11:25:15〔1年以上前〕 BCR 私の想い出 <1027文字> 編集
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2023年10月4日(水) 02:53:08〔1年以上前〕
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Date: ⌚2003-03-20 (Thu)
私のローラーズへの思いは、一言では語り尽くす事の出来ない私の人生そのものです。
ローラーズの初めての日本の来日から、来日のたびに東京のコンサートは全て行きました。
もちろん、ヒルトン、京王プラザ、銀座第一ホテルなどへの追っかけや、ホテルの裏口からこっそり侵入したり。。。
NHKの収録コンサートでは、1時間の番組を撮るのに、3~4時間かかり、
私の投げたチェックのマフラーをレスリーがパットのマイクに結わきつけてくれて、
我が家の家宝に持ち帰り、毎日頬擦りしていたっけ。。
当時はとにかく英語を勉強してレスリーと結婚するなんて、真剣に考えていた。
教科書の挿絵の顔は全て、ローラーズの切り抜きをはり、暗記の文章は主語を全部Leslieに置き換えていた。
そのおかげで、高校でアメリカに1年留学し、その後も英語関係の仕事をしながら、
今では約40ヵ国を飛び回り、通訳も出来るほどになった。
先日、福田官房長長官と御婦人の通訳をする仕事があった。
憶えているだろうか?当時、タータンカンパニーという、ファンクラブの会長が福田ちずるさんで、
彼女は当時福田総理大臣の孫娘とか言われていたので?そのことを聞いてみたら、
そんな名の人は身内にいないそうです。???何はともあれ私にとってBCRは人生そのもの。
あの頃、彼らに出合っていなかったら、今の私の人生はどんな風になっていたんだろう。
いくら感謝しても、仕切れないほどである。家族でエジンバラに行った時、
2人の娘達に”私の燃えていた青春とレスリーへの思いを”話した。
娘たちも、レスリーの柄のタータンを見つけるたびに、
”ママ、レスリーの!”と教えてくれた。。。
そして娘達の一言”どうしてそんなにレスリーが好きだったのに、
パパと結婚しちゃったの?ぜんぜん似てないよ”
Yes, I want to ask why! 現実はきびしい!あれから、20~30年たとうとしている今、
私はついに40になりました。流れてしまった日々は取り戻せないけど、いつまで経っても、
BCRに夢中になっていた頃の輝かしい青春は私の心の宝物です。
そういう気持ちを常に持ち続けて気持ちを若く持ち続けようと思っています。
同じ気持ちを共有できる人がこんなにいたことを知っただけでも励まされました。
ありがとう。BCR!!!!